西国街道サイクリング 歴史を感じる高槻~神戸ロングライド②自宅から萱野三平旧邸まで
前回、 息子と共に大阪・高槻から神戸まで西国街道を通ってロングライドに行く計画を立てました。
今回は、実際にサイクリングに出かけた様子をお伝えします。
さて、どんなドラマが待っているのでしょうか?
本記事の内容
最高の天気の中サイクリングスタート
9時50分、大阪・高槻の自宅を出発しました。
まずは西国街道まで安威川沿いにある”安威川サイクリングロード”を進みます。
息子とサイクリングをするのは2か月以上空いていたので、久しぶりのライド。
全回息子といったライドはこちら
私はいつでも一緒にサイクリングに出かけたいのですが、15歳の息子は思春期真っ盛りで、私が誘っても、友達を優先して中々一緒にサイクリングに出かけてくれません。
少し寂しい気もしますが、徐々に子離れしないといけないんですね。
西国街道に突入
安威川サイクリングロードで【太田】まで行き、サイクリングロードに突入します。
この太田には戦国時代【太田城】というお城があったようで、現在城跡の発掘調査が行われています。
今は何もありませんが、当時の姿を想像しながら走りました。
西国街道は旧道なので、基本的に☝の様な道幅です。
狭くて走りずらいと感じるかもしれませんが、この狭さが実はポイントなんです。
道幅が狭いので、一方通行が多く、交通量も少ないんです。
白井河原合戦跡を通過
今から約450年前の戦国時代、ここで【合戦】がありました。
【2500人 対 500人の戦い】があり、数の上で劣勢な500人の方が全滅したんだとか。
その時、この下を流れる川が、殺された将兵の血で真っ赤に染まったそうです。
恐いですよね~
そんな動乱の地も、450年たてば親子でサイクリングが出来ています。
平和な時代に生まれてよかった~
交通の要衝”中河原”を通過
ここには【道標、みちしるべ】が建っています。
江戸時代から前の昔、ここは亀岡街道と西国街道が交わる、今でいう”交差点”だったようで、
ここに立っている道しるべには、
【ここから京都まで7里(約28キロ)、大坂まで5里(約20キロ)】と書いてあります。
昔の字って、迫力がありますね。
西国街道沿いにどんどん進みます。
郡山宿本陣(椿の本陣)到着
最高の天気の中、順調にサイクリングは進み、10時10分、【郡山宿】に到着しました。
ここは、西宮まで続く西国街道沿いに6箇所あった宿場町のうちの1つで、この宿場町で参勤交代の大名が泊まったりしたそうです。
そんなお殿様が泊まる旅館を【本陣】 といい、西国街道の中で、その建物が唯一残っているのがこの、郡山本陣だそうです。
ココ、現在は見学出来ないみたいなんです.
というのも、この建物は個人の持ち物で、今も住人が住んでいるそうです。
つまり、人の家です。個人宅なんですね。びっくり。
ちなみにこの【郡山本陣】には、忠臣蔵で有名な【浅野内匠頭】も泊まったことがあるそうです。
小野原の古い街並み
郡山を抜けると、独特の道幅、ところどころに古い作りの住宅が残っていて、サイクリングしていてとても気持ちいいです。
車もほとんど通らず、息子と共に気持ちいいサイクリングを満喫しました。
30メートルくらい北側には、交通量の多い国道171号線が走っています。
しかし、こんなに近いのに、そんな喧噪とは全く無縁の静かな道が続いていました。
萱野三平旧宅到着
10時30分ごろ、【萱野三平旧宅】という古い建物が出てきたので、立ち寄りました。
江戸時代の建物が残っているようです。
実はこの建物で生まれた【萱野三平】という人物が有名人の様で、先ほども少しお話した、【忠臣蔵】で有名な”浅野内匠頭”の家臣(家来)だったようなんです。
浅野内匠頭が江戸城松乃廊下で、【吉良上野介】を日本刀で切りつける刃傷事件を起こし、即日切腹になった”大事件”を起こします。
このお家の一大事を、国元の赤穂まで伝えに行ったのが、
この【萱野三平】だそうです。
当時はもちろん電話なんてありませんから、直接伝えるしかないんですよ。
しかも、ただの連絡じゃなく、最上級のヤバい連絡。
何と、当時江戸から赤穂まで12日かかる道のりを、この人猛ダッシュで4日間で走破したそうです。
当然、途中で西国街道沿いの我が家の横も通るのですが、ちょうどその時実母のお葬式をしていたそうなんです。
がしかしですよ。
この人、三平、お母さんのお葬式にも出ず、周りの人が『顔だけでも見ていってあげて』というのを聞かず、そのまま素通りしていったそうなんです。
何故なら、仕えているお家の一大事だから。
現代の私達からすれば信じられませんよね。
ちょっとだけでも顔見ていったらいいのに。
武士って大変ですね。
結局、そのあと、赤穂浪士に加わることを家族から反対され、この萱野三平は28歳の若さで切腹してしまいました。
つくづく平和な時代に生まれてよかったと思います。
赤穂浪士に想いを馳せながら、西国街道サイクリングは続きます。
(次回に続く)